2011年3月16日水曜日

「なぜ略奪ないの?」被災地の秩序、驚きと称賛―米

引用元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000135-jij-int

略奪というか窃盗はあったようです。

僕の印象ですが、略奪と言うと人を傷つけて物を奪う感じ。
窃盗は万引きとか置き引きのような、奪うんじゃなくこっそり盗む感じですね。

まぁ何であれ犯罪は犯罪です。
でも他国で同じことが起こったとして、略奪・窃盗の件数を比較したら、絶対的に割合は少ないと思います。

海外で略奪が起こるのは当たり前かもしれませんが、大多数の人間が略奪行為を行うわけではありません。
ほとんどの人は日本人と同じように手をとりあって助けあうはずです。
たまたま海外は略奪を行う人の割合が日本より多いだけで、皆同じ人間なんです。
日本人が特別なわけではないと思います。

日本人がいかに平等に教育を受けているか・・ということもあると思います。
あと、教育方針が「皆と足並みを揃えること」に重点を置かれているような節があるので、そういうのも日本人の人格形成に影響していると思います。

そのせいか、日本人は義務とか任務、常識に対して忠実すぎるんですね。
しかも自分が傷ついてでも他を生かそうとするような気持ちを持ちあわせています。

これって災害時はとても美しいです。
でも社会生活ではそれが裏目に出てしまうことが多いと思います。

皆が帰らないから一緒になって残業する。
皆が飲みに行くから本当は帰りたいけど一緒に行く。
皆が手を上げたから自分も手を上げる・・

こんなことってありませんか?
これって日本社会では必要なことかもしれないですけど、こういう事の積み重ねで過労とか欝の原因を作ってることが多いと思います。

いい面だけを残して、悪しき風習をなくすことができれば本当に住みやすい国になるでしょう。
無理でしょうけど・・・。

僕は自分が完全に日本的教育に染まってしまったと感じています。
綺麗な言い方をすれば「自己犠牲の精神で生きてきた」とでも言うんでしょうか。
そのせいでボロボロになりました。

「自己主張」をもっと強くしないと生きていけません。
欝を乗り越えた今の僕は、数カ月前とは別人かもしれないと思う時があります。
ずっと他人の為に生きてきたけど、自分の為に生きてみようと思っています。
これがアメリカで賞賛された日本人像とは反対方向であっても、そうならないといけないと思っています。

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